映画『梅切らぬバカ』を見て思い出しました

昨年公開された和島監督の映画『梅切らぬバカ』、今も話題ですね。

母親と暮らす重度の自閉症の「忠さん」が50歳になり、母親と離れてグループホームに入居することになって・・・

というお話ですが、以前書いた感想ブログの中で、主人公の忠さんを見て、グループホーム『ラファミド八王子』で支援した方を思い出したと書きました。

その話をしてみたいと思います。

ちなみに、ラファミド八王子は現在は障害が中軽度の方が対象ですが、初めのころは重度の障害者も利用されていました。後に忠さんのような重度障害者向けのグループホーム『友』ができました。

今に比べたらまだまだ発展途上、私も支援者としては気持ちだけで知識も経験も全然足りていないころの話です。今だったらもっと違う支援をしただろうなあ・・・。

 

Aさんとしますが、年齢は40代くらい、療育手帳(愛の手帳)精神障害者手帳をお持ちで、自分からは言葉を話すことは少なく、にこにこ笑っていることが多い方でした。

 

付き添いは必要でしたが、Suicaを使ってコンビニで買い物をしたり掃除や通院をしたり、日中は就労継続支援B型事業所『エスプリ』に通所し、ご自分で生活されていました。

忠さんも映画の中で、ところどころ母親に手伝ってもらいながらも、自分で生活して、作業所にも通っていましたよね。

 

 

「重度知的障害」支援の思い出

「重度」の障害者の「中軽度」との一番の違いは「言語コミュニケーションが通じるか」です。

もちろん、言葉の理解度は人によって差があるので、その人の能力や障害特性に合わせてコミュニケーションの取り方を考え、自分で「できること」を増やす支援を行っています。

 

たとえば、服薬の支援では、シールを使いました。

Aさんは複数の疾患をお持ちで、一日3~4回服薬がありました。薬の袋に「朝食後」「夕食後」「寝る前」など印刷されていましたが、読めません。

なので、朝は赤、夕食後は黄色などと同じ色のシールを自分で貼ってもらって、色ごとにお薬カレンダーに一週間分セットしてもらう、という方法を試したのを覚えています。文字は読めなくても、自分でセットして、間違わずに服薬することができました。

 

 

お風呂の支援ですごく困ったのを覚えています。

映画の中で忠さんもそうでしたが、普段はおだやかでも、嫌なことや不安なことがあると激しく怒ったり暴れたりしてしまう「強度行動障害」がありました。

お風呂は共有ですが、特に時間は決まっておらず、入りたい利用者様が自分で沸かして入る、という形でした。

Aさんはご自分で用意して入浴はされるのですが、お風呂の電源が入れていなかったり、お風呂が沸く前に入ってしまったりして、水風呂になってしまうことがありました。湯沸かし器がよく理解できていなかったようです。

また、一人で入ると背中などに石けんの泡が残ってしまっていることもよくありました。

 

 

それで、時間を決めて職員が入浴の支援を行うことになったのですが、お風呂に入りたくなると、まだ時間ではないのにお風呂場に行こうとしてしまいます。

ラファミド八王子の利用者様は全員男性で、お風呂の支援は男性職員が行う決まりでしたので、女性の私はできません。

その場に男性職員がいないときにお風呂に行こうとしたら「まだです」と止めるのですが、Aさんはもう「お風呂に入る」頭になっているので、強引に入ろうとし、なぜ止められるのかも理解できないので怒って暴れてしまいます。

 

こちらも、必要以上に拘束することは虐待になるのでできませんし、かといってそのまま入らせるのも適切な生活支援とは言えません。

今だったら、お風呂の入れ方やスケジュール管理を絵カードなどで分かりやすくして、混乱せずに入浴できるような支援をするのでしょうが、当時はとにかく時間になるまで待ってもらわないと、という感じでした。

組み合った状態で、なんとか待ってもらおうといろいろ声をかけるのですが、あるとき、「スタッフルームの○○さん(当時のサービス管理責任者)に会いに行きましょう」と言ったら、強引にお風呂に行こうとしていたAさんはふっと落ち着いて「わかった」と提案を飲んでくれました。

 

そのときは突然の変わりようにただ驚いて、理由はよく分からないけど、よかったーというだけでした。

今考えると「時間になるまで待つ」という本人にとっては見通しが立てづらいことに対して、「どこの」「だれに」会いに行く、という具体的にイメージできる行動だったから「お風呂」から意識がそれてくれたのかと思います。

 

もちろんそれで解決、と単純にはいかず、一回移動した後はまたお風呂に入ろうと騒いでしまいましたが、スタッフルームまで移動するまでの間は、落ち着いて行動できました。

利用者様たちと関わっていると「あ、これはこういう反応をするんだ」ということは常にあります。日々、新しい発見と、そこから理解を深めていくことに終わりはなく、それは支援の面白さのひとつかと思います。

 

 

障害者は「できない」という思い込み

 

もうひとつ、梅切らぬバカの感想にも書きましたが、自分の「障害者」への思い込みに気づかされたことがあります。

利用者様たちとは、ご本人の希望により、いっしょに勉強をするといった支援も行っていました。

人によっていろいろ教材を使っていましたが、Aさんは文字はご自分ではほとんど書けないので、Aさんが言った言葉を私が紙に書く、ということをしてみました。

すると、「○○さん」「□□さん」と次々に名前が出てきました。他の事業所に異動した人もふくめて、ラファミド八王子やエスプリの職員たちの名前でした。

「こんなに覚えているんだ!!」と正直びっくりしました。そして普段自分からはほとんど話さない方なのに、話しかければどんどん言葉が出てくることにも驚きました。

 

同時に、話さないことを「話せない」と思い込んで、Aさんのコミュニケーションの機会を減らしてしまっていたのだと反省しました。

また、重度障害者支援の場だと特にそうだと思いますが、どうしても大変な人の対応に追われて、大人しくしている人への対応は少なくなりがちです。

ぱっと見問題はなさそうに見えて、「個人への適切な支援」はできていないのです。

本人を主体に、個別の支援をアセスメントにもとづいて行い、それを定期的にふり返って修正していく…今はSHIPではどこの事業所でも実践してくれていると思います。

 

障害者の「当たり前」とは

最後にその方と会ったのは、病院の面会室でした。私はもう支援の現場は離れていたかと思いますが、近くの病院に入院していると聞いて会いに行ったのです。くわしくはわかりませんが、退院の目途は経っていないようでした。

会うのは久しぶりでしたが、覚えていて喜んでくれている様子でした。ご本人は、ここ(病棟)の人たちは退屈で、早く出たいと笑って話していました。

話していて、病状をすべて理解できていないこともあるだろうけど、この方も健常者と同じで、まわりより自分の方が上、みたいな意識が当然あるんだなと思いました。

それに自分が「障害者」という意識はないのかもな、と改めて思いました。自分から見たら自分が普通なわけですから、当たり前かもしれません。

 

私も、障害者が何か分かっていなかったし偏見を持っていたのもありますが、てんかん発作が毎月あっても発作が原因で会社をクビになっても自分が「障害者」とは思わなかったものです。発作があると大変でも、発作もふくめて日常ではあったわけですから。

花粉症や腰痛もち、眼鏡がないと生活できないという人も世の中たくさんいますが、それで自分を「障害者」とは思わないでしょう。それと感覚は同じなんじゃないかと思います。

 

 

「障害」「病名」で必要以上にマイナスなレッテルを貼られてしまう世の中です。

自分自身がいつの間にか無意識に「障害者」にマイナスなイメージを持っていたと思いますし、自分や和島監督の「てんかん」という病気も、症状よりも偏見のために必要以上に窮屈な思いをしている人たちはたくさんいます。

 

個人個人で感じる「当たり前」はそれぞれ違うのも当たり前だと思いますが、「障害者だから」と「当たり前」の暮らしを奪われている人は多くいます。

「梅切らぬバカ」という映画は、まわりの関わり方や理解の違いで、社会は変わっていくのだと、少しだけ見せてくれます。

忠さんやAさん、他のたくさんの重度障害者が「当たり前」に地域で暮らせる社会になってほしい、自分もそのために動いていきたいと改めて思います。