改めて自己紹介(SHIPにいる理由)

皆さんこんにちわ、ヒューマンリソース推進室の若林です。
 
今回は新年度初めてのブログということで、まずは改めて私がどういう人間か知ってもらう意味で、福祉SHIPに入るまでについてお話してみようと思います。

私が福祉の仕事を始めたきっかけは、祖母の死を看取ったことでした。もともとおばあちゃん子でしたので、寝たきりの祖母の介護も苦にはなりませんでした。車いすに乗せて食事に行ったり、ドライブに行ったり祖母との楽しい日々が思い出されます。
 
3年ほどで祖母はほとんど苦しむこともなく安らかに亡くなりました。それがきっかけで私は福祉の世界に入りました。
 
 
はじめに特養で高齢者福祉を1年ほど体験し、その後当時入所更生施設という名称の知的障害者が暮らす入所施設に就職しました。
色々と思いはあったのですが、知的障害者と接するのは初めてで何をしてあげたらいいのかさっぱりでわかりませんでした。人が足らなかったこともあり、何にも教わらないうちになし崩しに勤務し始めた感じです。先輩職員にどう接していいかわからず、対応を質問したのですが、「若林さんの裁量でやってください。」と言われたので、それ以後聞くのをやめました。それからただ毎日理解しようとひたすら観察しながら一緒に過ごしていました。
 
3年4年と経つうちにだいぶ慣れてきましたが、何となく疑問を感じるようになってきました。職員の間では「あの職員の時は利用者が安定している。あの職員の時は騒がしい。あの職員の対応が悪いからだ。」なんて話が日常的に聞かれます。なんで職員個人の問題になってしまうのでしょうか?利用者の問題行動を押さえて大人しく過ごさせるのが職員の仕事。それが仕事のできる職員なんて勘違いをしてしまいます。 

 「ほんとに安定しているの?」
 どんどん受動的になっていく利用者を見て思います。
 
これは安定でなく、委縮してるんじゃない?」
 そうは思っても職員は少ない人員で頑張ってます。きれいごとばかりは言えません。
 
「何のためにこの仕事に就いたの?」
 こんなはずじゃなかった気がします。
 
「でも、利用者は意思を示せたからといって何が出来るんだろう?」
 叶わない願いなら、心を閉ざしたほうが楽かもしれません。
 
入所施設には公平・平等という概念がありました。できる人でも《一人だけやるのは不公平》なんて話になります。
その代わりできない人には援助がついて色々やることができますが・・・・
 
個別支援が叫ばれて久しいですが、入所施設の中ではきれいごとにしか感じませんでした。
 
勘違いしないで欲しいのは職員が手を抜いているのではありません。どうしていいのかをそれぞれ真剣に考えて本当に頑張っているのです。
悲しいのは日々の業務に追われて、新しいことを考える余裕も専門的知識を学ぶ余裕も持てないのです。
 
入所施設は同じ人を見るので長い時間一緒に過ごしていると何となく支援できるようになってしまうことも新しい知識を得ようとしない一因にもなっていますが・・・・
人は必要に迫られなければ勉強などせず、何となく安定したルーティンを繰り返してしまうのです。

 
私が何より疑問だったのは、利用者自身が何のために頑張っているかわからなかったことです。正確には何のために頑張らせているかわかりませんでした。人は努力するためには、普通は目的があります。ここまでできるようになったら家で暮らせるとか、違ったステップに進めるとか、せめて利用者の最終的な希望が叶う可能性があるなら、利用者の意にそぐわないことを、こちら側の尺度と価値観でやらせるのもどんなに気が楽だったかと思います。
 
しかし、利用者は自分の意志に関係なく施設にいるしかないのです。
私には、保護はされるが自由のない、福祉のパターナリズムがどうしても受け入れられません。
 
もちろん施設に入れたことで安心する親の気持ちもわかります。入所施設にいるときに、割り切れない親の深い愛情も感じました。
 
以前は施設解体論なんてことも聞かれました。
ここずっと地域移行なんて言葉が叫ばれています。
 
でも、地域の受け皿は十分にありますか? 地域の専門的な支援スキルは十分ですか?
 
入所施設には障害が本当に重い利用者がたくさんいます。過酷な環境の中で職員は頑張っています。
今の地域の福祉サービスの現状では施設で暮らすしかない重度の障害者が多くいます。

 受け皿が充実していないのに理想だけ掲げても無責任なだけです。
 
私は理想を語るには実現するだけの力をつける必要があると考えます。
 
だから私は地域で自分の考える福祉事業を立ち上げるために、入所施設を退職しました。
 
 
そして理想実現のため私は現在社会福祉法人SHIPにいます。