【職員インタビュー】「『いっぱしの心理職』になるため、色々な経験を積みたい」EXP立川(就労移行支援) 山﨑さん
医療の現場で、公認心理師、臨床心理士として経験を積んでこられました。
その過程と、これからについてお話いただきました。
「犯罪心理に興味を持ち、心理職の道へ」
――山﨑さんは、どうして心理職に興味を持ったのですか?
山﨑
もともとは、中学生くらいに興味を持ったんです。同年代による殺人事件のニュースを目にしたとき、大きなショックを受けたことがきっかけです。加害者の心理がまったく理解できず、純粋に「どうして?」と思って興味を持ちはじめました。
興味はその後も続き、心理系の学部のある大学へ進学しました。人の心を深く知っていくと、その人の見せていない部分を知ることができる。そういった部分にとても好奇心が刺激されました。
大学、そして大学院と心理学の勉強を続け、卒業した年に臨床心理士、その次の年に公認心理師の資格を取りました。「子供による犯罪」への興味は引き続きあり、大学や大学院在学時ずっと児童自立支援施設で夜勤のアルバイトをしていました。
【児童自立支援施設】
不良行為をした、またはそのおそれのある児童および家庭環境、その他の環境上の理由により生活指導などを要する児童が入所、または保護者のもとから通い、個々の児童の状況に応じて必要な指導を行い、その自立を支援する施設です。
WAMNET 「児童自立支援施設」より
――それから就職されるのですね。
山﨑
資格取得と前後しますが、大学院での実習の経験から精神科の病院で働き始めます。配属されたのは、精神障害のある方への安定した日常生活や社会復帰を目的とした「デイケア」でした。1日に100名以上の患者様がいらっしゃる、かなり大きな規模のものでした。
スタッフも様々な方がいて、看護師、作業療法士、精神保健福祉士、そして私と同じ心理職の方もいました。また、デイケアで患者様を対象に行なうプログラムもまた多種多様で、レクリエーションを目的とするものや、お菓子作りをしたり、外部から講師を呼んできてペン習字や陶芸をしたり。デイケアには3年ほどいましたが、とても楽しい期間でした。
その後、外来へ異動になります。心理検査をしたり、カウンセリングをする仕事を主にしていました。自由度の高いデイケアに比べて、外来の仕事は医師の指示通りに仕事をこなすことが必要でした。
外来での仕事はとてもハードでした。病床数が200以上ある病院で、医師も7~8名いる中で公認心理師は私一人でした。複数の医師から同時に依頼がくることも多く、身体がいくつあっても足りない状況でした。
例えば、1枠1時間のカウンセリングが1日7枠埋まる日もあり、9時から17時の間で昼休みを除いてはまったく休みなく働き続けることになり、途中トイレすら行けないこともよくありました。
17時を過ぎれば終わりというわけではありません。カウンセリングの内容を医師に共有する必要があります。ときには、医師が会議などで夜遅くまで時間が取れないこともあり、一人で仕事を回すのは大変でした。
――それはとても大変な状況ですね・・・
山﨑
周囲に現状の改善を相談するも変わらず、とにかく自分が独りで仕事をしなければいけない状況は、責任とプレッシャーがとても大きかったです。かといって、今自分がポンと辞めてしまうと、受け持っている患者様を放りだす形になってしまう。その一方で、毎日新しい患者様がいらっしゃるんです。
メンタルを回復するための仕事をしているのに自分のメンタルがボロボロになっていきました。
職場で隠れて泣いたり、親に泣き叫びながら電話したり、通勤の車の中で運転しながら涙が止まらなかったりと、完全に感情のコントロールが効かなくなってしまいました。そのような状況でしたが、なんとか1年ほどで引継ぎの準備をし、病院の外来での仕事を3年ほどで終わらせ、病院を退職しました。
――そのあと、すぐに次の仕事に就いたのですか?
山﨑
実は、そのあと1年3ヶ月ほどは何も仕事をしませんでした。海外に住んでみたいという願望があったんです。最初はちょっとお休みして、それから海外で住む手続をして、3ヶ月くらいニュージーランドで生活していました。
ニュージーランドでの生活は、とても楽しかったです。日本にいたら得られなかった価値観を知ることができました。
一つは、「自分が思っているほど、他人は自分のことを気にしていない」というものです。もっと自由に生きていいんだ!と思いました。街ゆく人たちの服装が自由だったんですね。
渡航するまでは、年甲斐もなくミニスカートは履かないものだとか、露出の高い服装は若い人たちだけに許されているものだとか考えていました。それが、ニュージーランドでは、周囲を気にせず年配の方もガンガン足が出る服装をしていたり。
もう一つは、「人に頼っていい」というものです。私はもともと人に頼ることが苦手でした。それが、あるとき私が病気になったとき、独りでうんうん唸っていたところ、現地で知り合った韓国人の友人が「なんで頼ってくれないの?」とストレートに言ってくれたんです。それが嬉しくて、「ああ、もっと自分は人に頼っていいんだ」と思えるようになりました。
ニュージーランドでの楽しい生活、得られるものもたくさんあって正直帰ってきたくはなかったのですが、臨床から離れてカウンセリングや心理検査などのスキルが落ちるのは避けたいと思って、断腸の思いで日本に帰ってきました。
「漫才のような面接官たち」
――そのあとはどうされたのですか?
山﨑
日本へ帰ってきてから3ヶ月ぐらい就職活動をして、SHIPに入ることになります。
地元九州を離れて関東に行きたいと思って就職活動をしました。まずは、千葉と神奈川の放デイ(放課後等デイサービス)から内定をいただきました。
ただ、その2社とも、公認心理師や臨床心理士を資格を持つ方がいなかったのです。前職の経験から、また自分ひとりに大きな負担がかかるのではないかと思い、もっと探そうと思いました。そこで目に留まったのがSHIPの運営する就労移行支援事業所「EXP立川」の求人でした。
ただ、就労移行支援というものに関して、ネットで調べられる以上の知識はありませんでした。それでも興味が湧いたので、放デイの内定受諾期限ギリギリのタイミングでSHIPの一次面接と二次面接をスケジューリングしてもらいました。
――面接の印象はどうでしたか?
山﨑
実際に配属されることになるEXP立川での二次面接が強く印象に残っています。
サービス管理責任者の奥主さんと、主任の奥山さんに面接してもらいました。その二人の様子がまるで漫才のかけあいのようで、しかも包み隠さず話をしてくれました。
職位では主任よりもサービス管理責任者の方が上ですが、主に部下が上司にツッコミを入れていて、正直こんな面接はじめてでした。
もちろん、そういったやりとりの中でちゃんと私のことは見られていたと思うのですが、なにより「風通しの良い職場」を体現しているなと感じました。
「福祉領域」での仕事をスタート
――EXP立川で仕事をはじめて、大変だったことややりがいを感じたことなどを教えて下さい。
山﨑
一貫して心理職として仕事をしているものの、前職の病院はそれこそ「医療領域」での仕事でした。医療は「治療をして病気を治す」「患者様を死なせず命を守る」ことが目的です。
それに対して、EXP立川での仕事は「福祉領域」です。福祉は「現状を認めたり受け入れたりしたうえで、それぞれの幸福を追求する」という印象を持っています。
そのギャップで大変だったことが、「治療や症状の改善につい目が向いてしまう」ことでした。それは基本的にEXP立川でやる仕事ではないんですね。症状がありながらも、どうやって生きていくか、生活を回していくかなんです。
もちろん、医療でもそういったアプローチはありますが、基本的に症状が悪化したら入院して治療します。EXP立川は、体調が悪くなったとしても、基本的にその改善を施す場ではないんです。
そういった点で、自分の思考回路を組み替えなければいけなかった、福祉の考え方に変えなければいけなかったのが一番大変でした。
例えば、利用者様をどうやって支援するかを決める「個別支援計画」というものを作成する際、症状よりも就労に向けての課題を考えていかなければなりません。どうしても「病気を治す」という思考が抜けきれなくて、症状に対してどう対策を立てて就職に持っていくかと考えるために、「ここは就労移行」と意識していないとついていけませんでした。
それに対して、EXP立川での仕事のやりがいは、利用者様のできることが増えていくことがとても嬉しいです。
当初、通所すらままならなかった利用者様が、数ヶ月たって継続して来ていただけるようになりました。ご自身の考え方も「自分はダメだ」と自己否定に走りがちだったものから、「将来はこういうことをしたい」と考えられるようになりました。
過去にとらわれて前に進めない状態から、将来の自分に思いを馳せることができるようになったその様子を見て、本当に良かったなぁ!と思います。
――EXP立川の利用者様の印象と、注力しているサービスを教えてください。
山﨑
「人生の先輩が多い」というイメージですね。自分と比べるわけではなく、純粋に色々な経験をしている方が多いです。
その経験の一端を知ることができて勉強になります。「人生の先輩」と言っても、それは年齢的なことではなく経験の数です。自分より年齢が下の利用者様も、多くの経験をされている方もいらっしゃいます。
注力しているサービスですが、心理職として、例えば心理検査をしたりなどが自分の知見で貢献できることの一つなのかなと思っています。いわゆる就労移行支援事業所の支援員としてのスキルは、これからもっと磨いていくつもりです。
あとは、利用者様との面談の際、傾聴の姿勢などは、前職でたくさんやったカウンセリングの経験が生きているかなと思います。
EXP立川で働いている今、そしてこれから
――山﨑さんの今後の目標を教えてください。
山﨑
今はいろんな経験をしてスキルを高めて、それを臨床に生かす素地を作る時期だと考えており、心理職としてキャリアを積むことが大事だと考えています。50歳ぐらいまでにいっぱしの心理職になれたらいいなと思っています。
なぜ50歳という設定なのかというと、60歳となると定年間近で、40歳だとまだまだという印象があるので、その間をとって50歳としています。自分はできないことばかりに目を向けてしまう性格なので、自己鍛錬の時期を長めに取りたいんです。
「いっぱし」とは、自分のスタイルを確立していることだと思っています。心理療法も色々な流派があります。どれかにかたよるよりは、色々な流派の考え方を取り入れながら、自分なりの接し方を作っていきたいです。
あと、これはもう夢みたいなものですが、学生時代からの友人と「心理職がいるカフェ」を作ろうと話していて、密かにそれもやってみたいと考えています。
――今働いているEXP立川の雰囲気や魅力などはどう感じていますか?
山﨑
一言でいうと、「ざっくばらん」です。自分の意見を尊重してもらえて、言いたいことは言える雰囲気があります。
そのぶん、自分の意見を持たないといけないという難しさもあると思います。
――最後に、SHIPに向いている人、一緒に働きたい人について教えて下さい。
山﨑
自分が今働いているEXP立川を念頭に置いての話になるのですが、利用者様が自分の進みたい人生をいかに一緒に考えられるかだと思います。
向き合うというよりは、一緒の方向を見ているという感じです。
支援者としては、「こうしたらいいんじゃないか」というのをつい押し付けたくなってしまいがちですが、「楽じゃない道を選ぶあなたも尊重します」といった気持ちが大事だなと思います。
利用者様の選択が、はたから見ていて失敗すると分かっていても、その利用者様ご本人の意思を尊重する姿勢ですね。つい手を出したり口を出したりしたくなるのを我慢して見守る。EXP立川には、それができる空気があると思っています。
そういった姿勢に共感していただける方なら、一緒にやりやすくなると思います。この姿勢、SHIPが推奨している「動機づけ面接法」そのものなんです。支援者からの押し付けではなく、利用者様からいかに自然に動機を引き出すかという考え方です。
また、個人的には「失敗のない人生なんて無い」と思っています。自分は石橋を叩いて、叩き過ぎて壊しちゃうタイプなんですが、そんな失敗があるからこそ人生経験が増えるものだと考えています。
失敗したくないとか、ミスがないようにとか、それだけ考えている人生は面白くないと思います。失敗なくきている人よりも、失敗を重ねている方のほうがよりいっそう魅力的に見えます。
もしかしたら、「失敗してきている人」が、自分が一緒に仕事をしたい人かもしれません。失敗こそが人生の糧、ぐらいに思っている方と働けるといいなと思っています。
ありがとうございます!
心理職としての知見を生かして、支援員としてのキャリアも積みはじめた山﨑さん、
これからも頑張ってください!
フリーランス/リワークトレーナー/タスク管理習得支援ツール「タスクペディア」原作者