10㌔マラソンで感じた「曝露(エクスポージャー) 」と 「安全基地(セキュアベース)」の話し

このブログは2024年7月28日に書いています。

気温35度・湿度60%以上がデフォルト、メチャクチャ蒸し暑いです・・・

そして今回のブログでは、このクソ蒸し暑い中でもマラソンに励んでいるおじさんランナーのわたしが、ジョギングをはじめてから、昨日の10㌔マラソン大会を走り終えるまでの気づきにくわえ、この経験を日頃の支援に活かすためのアイデアを考察したいと思います。

こちらのブログは、以前に投稿した 「エクスポージャー」の効果と「安全確保」の効果とのジレンマ というブログの続編のような内容になっています。

「エクスポージャー」の効果と「安全確保」の効果とのジレンマ

 

マラソンを始めた経緯

実は今年の3月から、思い立ったようにジョギングをはじめました。

家のそばの河川敷に1周800mの遊歩道があって、いつかはそこを走りたいと思いながら、かれこれ12年も経っていたのです。

走りはじめた頃の身体の反応は最悪でした。

まず血の味の唾が止まりません。そして呼吸が苦しすぎるし、ふくらはぎに肉離れのような痛みが出るしで、命からがら2周走った後、「もうこれは続けられないな」と、打ちひしがれていました。

私は基本的にはこのように、新しいチャレンジはするものの、途中で挫折して健康問題を先送りにしている人間です。

ただ、なぜかこの日は「このままではいかん!」という気持ちにもなっており、何とか続けなければと考え、思い切って2ヶ月後にある5㌔のマラソン大会に申し込み、やり続ける決意を自分に課してみたのでした。

 

練習は週2回程度、最初の頃は1.6㌔ 走ってギブアップの繰り返し。でも1ヶ月が経つと2.4㌔まで走行距離が伸び、5㌔マラソンの大会前には何とか3.2㌔まで走れるようになりました。

まだ5㌔を走る自信はありませんでしたが、意を決して大会に参加し、見事に完走することができたのでした!

 

この経験はわたしにとってかなり大きなもので、自分の身体に意図的に負荷をかけ続けることで、ふくらはぎの筋肉が走ることに慣れてきましたし、オッサンでも心肺機能が確実に成長することが証明され、自分の身体に対する信頼感がかなり高まったのでした。

そして以降、5㌔マラソンの大会に3回出場して完走し、7月27日にはいよいよ10㌔マラソンにチャレンジ! という経緯になります。

 

 

10㌔ マラソン「スタート前」の様子

10㌔ を走ることは、今のわたしにとっては未知の世界です。

しかもこの暑さ、下手したら熱中症で救急車、、、なんてことを本気で心配している自分がいます。

当日のコースは以下の通り、2.5㌔ で折り返し、1周5㌔、つまり2周が10㌔ ということになります。

 

 

このブログのタイトルにもありますが、10㌔マラソンへのエクスポージャー(自分の身を晒すこと)の決意は、2.5㌔ごとに設置されている給水地点のセキュアベース(安全基地)によって、はじめて「なんとかなるかも。よし、やってみよう!」という意欲につながっています。

曲がりなりにも5㌔なら何度も走ることができているという自分の実績も、このチャレンジを後押ししてくれている気がしていました。

 

日頃の支援においても、やはり「ここまでなら頑張れそう」という地点を決めておいて、そこまでやったら一旦休憩(ないしお終い)、としておく工夫が必要です。

ポイントは、自分の目の前に『頑張ればできそう』と思えるハードルを置くことです。

そして、チャレンジの積み重ねと実績が、次の少しハードルの高いチャレンジ精神へとつながっていくのです。

 

 

さて、このマラソン大会の参加者ですが、大体、100人ほどの市民ランナーたちと一緒に走ります。

5㌔、10㌔、15㌔、ハーフ(21㌔)、それぞれのレベルに合わせて参加します。

会場を見渡すと、お年を召した方や女性ランナーが多いことに驚きました。活きのよさそうな若者ランナーもいます。

私のような50手前のおじさんランナーもチラホラ見かけます。

みんな入念に準備運動や軽めのジョギングで身体を温めているので、私もみんなのマネをしてやってる感を演出します。

 

支援の仕事でも同じです。

最初は、できる人のマネをすることからスタートです。マネをしてみて、気づきを得て、自分のモノにしていく流れです。

もし何か違うと思ったら、その人のマネは止めて、違う人のマネをすればOKです。

 

さあ、2024年7月27日  9:30  10㌔マラソン  いよいよスタートです! (ドキドキ・・・)

 

 

10㌔ マラソン序盤の「心理的な戦い」

残念なことに走り始めたその瞬間から、「あぁ、なんでこんなことやってんだろう・・・」「今日は膝が痛いな・・・」「あれ、もう苦しくなってきたかも・・・」といった、ネガティブな考えが頭をよぎります。

そして、こんなに頑張っているのに、「え、まだ1㌔しか走れてないの?」とか、「うわぁ、みんなはやすぎるよ~」とか、なぜかまったく役に立たない考えばかりが浮かんできてしまいます。

実際に、自分よりもおじさんランナーに軽快に抜かされたり、話しながら楽しそうに走っている二人組の女性ランナーに抜かされたり、自分のショボさを思い知らされます・・・

他人と比較しすぎたり、未来のことを心配しすぎる人は、いわゆるマインドレスといって、今 自分のしていることに集中できず、メンタル不調に陥りやすい傾向にあります。

さらに、このような自分にまとわり付いてくる不快感を理由にチャレンジを止めてしまうと、後々、その挫折感や無力感から自己信頼が損なわれ、最終的には苦手意識だけが残り続けることになります。

 

 

2.5㌔ 地点(1/4を経過)、ようやく「自分を取り戻す」

1㌔を過ぎ、2㌔を過ぎ、2.5㌔ のポールを折り返すころには、少しずつ自分のペースを取り戻していることに気づきます。

余計な雑念が浮かばなくなり、走ることに集中しています。

これは最初に得られるエクスポージャーの恩恵です。

膝の痛さや呼吸の苦しさといった不快な感覚と一緒に走り続けた結果、いつの間にか、それらの感覚に慣れていくというERP(曝露反応妨害)の効能です。

 

そして、この折り返し地点を過ぎたところには、なんと『給水ポイント』があります。

スポーツドリンクとお水の給水ができ、エネルギーを体内に取り入れ、お水で身体を冷やし潤すことで、少しだけ充電できた感じがします。

この給水ポイントは『安全基地(セキュアベース)』となっており、「ここに行けば回復できる」という愛着形成の学びを思い出させてくれます。

 

支援においても、このような『安全基地』を増やすことが『レジリエンス(回復する力)』につながります。

そして、「なにかあってもそこに行きさえすれば大丈夫」という安心感が、自分への信頼感へとつながっていくのです。

 

 

5㌔ 地点、(あと半分)「でも、先が見えなくなる」

これまで順調に走れていたのですが、もう一度スタート地点に戻って 5㌔ 地点を折り返すとき、また嫌な雑念が浮かんできます。

「あと半分も走るのか・・・」

 

この日の気温は36度2分、体温と気温が同化しているという最低の心地悪さ、地面の照り返しもメチャクチャ強く、心が折れかかっとりますが、それでも完走を目指してなんとか走り続けます。

 

ただ、6㌔ 地点で身体に異変が生じました。

手の指先に痺れが出てきてしまったのです・・・

「もしかして、熱中症の症状か?」

このまま走ることに不安を感じながらも、つぎの安全基地(セキュアベース)まではあと1.5㌔ 、行けないこともないんじゃないかという気持ちにもなります。

 

そのとき、自転車に乗った救護班の女性スタッフさんが「がんばってくださ~い♡」と、氷袋を配ってくれたのです。

この奇跡、マジで女神降臨かと思いました!

頭 → おでこ → ほっぺ → 首 → 脇の下 → 腕

何度も何度も身体を冷やします。

そして、少しずつ生き返ってくることを感じます。

 

支援においても、「ちょっと、このままだとヤバいかも・・・」という時に、支援者によるこのようなサポートは絶対に必要だな!と感じました。

いや、むしろこの瞬間にこそ、ちゃんと見ててくれて励ましてもらえるからこそ、支援者の存在ってやつが絶対に必要なのだと腹落ちしました。

成長とは、限界を少し超える経験なのだと思います。

いわゆる『耐性の窓』が広がっていく瞬間です。

不可能な無理をさせるというわけではありません。でも、可能な限り挑戦と成長を後押しする必要があります。

それが本当の自立支援です。

 

 

7.5㌔ 地点(ラスト2.5㌔)「迫りくる限界・・・」

さっきの氷袋ですが、実はすぐに溶けてなくなってしまいました・・・

でもまた7.5㌔ 地点には、給水ポイントである安全基地(セキュアベース)があるので、なんとか最後の気合を見せます。

ただ、とにかく暑い・・・

もう、呼吸が苦しいのか、身体が苦しいのか、なんだかよく分かりません。

 

さて、皆さんも熱中症対策として『塩分チャージ』を摂取したことがあるのではないでしょうか?

 

 

給水ポイントにはこの『塩分チャージ』が置いてありました。これを一つ食べることで何とか持ち直せるのではないかと考え、一つ、いただくことにしました。

が、手が痺れていて、袋を開けることができません・・・

10秒くらい格闘していると、給水係の人から「うしろから来たので急いでください」と言われました。

 

支援において、こういう心ない対応だけはしないと私は誓います。

塩分チャージという安全基地が、給水係の心無い言葉のせいで危険地帯へと早変わり・・・

 

ここでは、「ゆっくりでいいですよ」とか、「手伝いますよ」とか、「ハサミをどうぞ」だろ!(怒)

一番苦しいときに、その人にとって必要な言葉かけができるかどうか、支援者としての資質を問われる部分です。

 

 

ラスト1㌔、「歩いてます・・・」

この日は、「今年一番の地獄のような暑さでした」とニュースされていましたが、まわりのほとんどの人が走ることを諦めて歩いていました。

そして例外なく、わたしも歩いていました。それでも最後の力を振り絞って、歩いたり、走ったりを繰り返したのでした。

なぜ、そんな力が出せたのかというと、通りすがりの通行人や警備員の人たちが「がんばれ!がんばれ!」と声をかけてくれたからです。

あと、まわりのランナーの中には、歩きつつも何とか走り始めている人がいたからです。

 

支援においても、やはり限界を超えさせてくれるものは、支えてくれる人の存在だと実感します。

まったくの他人なのにそんな気持ちになるのだから、いつも支えてくれている人からの応援なんてパワーアップすること間違いなしです。

よく「頑張れ、って言っちゃダメ」って話を耳にしますが、あれって、重度のうつ症状の人がどうしても頑張れない状況のときに言わない方がいいやつですよね。

チャレンジして頑張ってる人に、あともうひと踏ん張り、頑張ってもらうための「がんばれ!」なんて、もう思いっきり叫んだ方がいいやつです。

 

 

10㌔ 完走、そして「労いの言葉」

そんなこんなで、なんとか10㌔ を完走することができました。

大会スタッフさんはじめ、すでにゴールしたランナーのみなさんからも「おつかれさま~」「ナイスラン!」と声をかけていただきました。

 

「その言葉、マジ、ありがてぇ」

 

けっきょく、人は人に支えられているということを実感します。

自分はちっぽけな存在で、自分一人だけで達成することって難しいことなんだという真実に気づきます。

 

ちょっとポリヴェーガル理論っぽくまとめると、

わたしは、彼らから腹側迷走神経系を受け取って、今度はわたしが、次のゴールしてくるランナーたちに「ナイスラン!」と声をかけ、腹側迷走神経系を渡します。

これぞまさに社会交流システムです。

哺乳類(というか「霊長類」)にだけ与えられている特権、平和循環のシステムです。

 

 

まとめ

おじさんのマラソン体験談に、さいごまでお付き合いいただきましてありがとうございました。

この10㌔ マラソンを通して、これから福祉に携わる者として肝に銘じておく部分をしたためておきます。

 

1,安全基地となり得る存在がチャレンジ精神を育むこと

2,支援者がその安全基地となり、挑戦を支えること

3,安全基地は支援者だけでなく、複数あることでレジリエンスを高めること

4,頑張れば乗り越えられそうなハードルを、あえて目の前に置くこと

5,そこへの挑戦の瞬間を見届けて、その瞬間を全力で応援すること

6,成長は限界を少し超える経験であり、『耐性の窓』が広がっていく瞬間であること

7,達成できた瞬間を我がことのように喜び、労い、腹側迷走神経系をフル動員すること

8,支援者として、自分自身がこのような挑戦と成長の経験をしっかり積み重ねて置くこと

 

以上、よろしくお願いします。

アディオス・アミーゴ